パニックの薬を飲んでみた結果

今年の初め、大雪の日に渋滞にハマり

右車線を運転していたのですが、そこに閉じ込められる感じと抜け出せない恐怖に陥りパニック発作が起きてしまいました。

呼吸が苦しくなり渋滞から抜けたいけど進まず

出勤途中でしたが、なんとか左側車線に入れてもらいそのまま帰宅しました。

それをきっかけに運転中に限ってパニック発作が起きるように…

春頃には、トンネルに入ったとたんに渋滞になり

息苦しさと冷や汗、足が痺れてアクセルやブレーキを踏めるか危うい感じになり、かなり車間距離をあけてなんとか抜け出せました。

これはもう無理と思い、近くの内科で心療内科もやっていたので受診しました。

一大決心で診察を受けたのですが、簡単に

「それではパニックの薬を処方しますね」と

セルトラリン25㍉一日一回飲むことになりました。

薬は避けたいけど、よれよりも事故を防ぐことが優先と思いました。

服用して数週間してからは、渋滞や右折レーンに入っても大きなパニックは起きなくなりました。

ただ不眠になるという副作用が出ました

夜に眠くても目が冴えて眠れず

なんとか眠れても1時間おきに目が覚める

診察の時にそのことを話したら睡眠薬を処方されました。

睡眠薬を飲んでも何度も目が覚めて、その上寝起きの眠だるさが酷い状態になりました。

自分なりにセルトラリンが最小限でも強すぎると感じて、最近の診察で25㍉の半錠を希望しました。

その結果、やっと眠れるように

睡眠薬を飲むのも嫌だったのでギャバサプリを飲むことにしました。

それから大きな渋滞にであったことがまだないのでハッキリ分かりませんが

薬でもなんでも、ある程度自分で調べて医師に提案してみるのも必要だと感じました。

現在通院しているところは、こちらの考えも取り入れてくれ、また聴覚障害のためにパソコンに文字を入れて説明をしてくださるので助かります。

自分のことを知っているのは自分自身

自分の心身を満たし、周りも助けられるようになりたいです。

良い姿勢を保つために

若い頃から腰痛があり、色々と改善方法を試してきました。

その中でたどり着いたのが靴のインソール

専門店で足の型取りをして自分に合うインソールを作ってもらいました。

それからは、靴を買い替えるよりも修理をして良い靴を長く履いています。

それ以外の靴は歩きにくい感じ

室内では、アーチフィッターという室内履きを知り今は3足目

これは足裏のカーブに沿っていて履いて立っている方が楽って感じです。

長時間立っている炊事、洗濯物干しには、これを履かないと無理って感じ位に動きやすいです。

ただ底が硬いので足音が気になるのが難点

そして仕事中はサンダルですが、その時は足裏のカーブを維持できるのをつけていました(品名忘れました^^;)

スタスタと動けます

よく仕事は何歳まで続けるかとありますが

私は姿勢よく動けるまでと考えていました。

その為には全身を支える足裏グッツは欠かせない存在です。

腰痛になると酷いので、そのような物に出会えて助かりました。

町内会のない街に住みたい

現在の場所は、都市から引っ越してきて30年になりますが、代々引き継いで住んでいる方が多く、よく言えば地域の繋がりを大切にする雰囲気があります。

子供達が小学生の頃は地域に馴染もうと行事にも参加していましたが、皆成人になったので今は年会費を納めるだけになりました。

年会費は5500円位

問題は数年に一度班長が回ってくること

とにかく行事が多いので、その度に班会議の集まりがあります。

私は聴覚障害になってしまったので、前回班長が回ってきた時に会長さんに状況を伝えました。

それでも「これだけ話せるなら大丈夫だから参加してください」と言われました。

確かに人工内耳を使用しているので、静かな場所なら一対一での会話は可能です。

会議に参加したものの、全く聞き取れず隣の席の方に大事なことを書いてもらおうとメモ用紙とペンを渡してお願いしました。

書いてくれたメモ用紙には

今はどこで働いてるか、何時間勤務?など

まったく会議内容に関係ないことを筆談するハメになってしまいました。

 

もうすぐ班長が回ってくる年になり

夕べは娘に、どうしようかな〜と話したら

「私がいくよ!」と言ってくれました。

私の中でそんな発想はなかったので、驚いたと同時にいざとなれば頼めると安心しました。

いつか引っ越すことになったなら

もう町内会活動のない所に住みたいです。

 

金魚草

11月になると思い出すこと

毎年11月になると悲しい思い出が蘇ります。

7年前の11月初めに父は末期癌で年を越せるかどうかの状態と診断されました

現実感がなくてそれからどのように過ごしたのかあまり覚えていません

それまで在宅でしたが、年明け4日に本人が

あと少しなら個室に入院したいと言いましたが

病室が空いていないとのことでした

亡くなる前日の訪問介護で血中酸素が70%と言われても無知でそれが何を意味するのか知りませんでした。

危ないということは知らなくて

明日の為にと私は早く寝なきゃと思っていました

その時にちゃんと説明してほしかったです

翌朝に病院から部屋が空いたので入院できると連絡がきて

午後からの入院予定で介護タクシーも予約していました

でも昼頃に急に苦しそうな状態になり

高齢の母と2人でおろおろしていました

聴こえが不自由で電話もできない私と高齢の母

とても不安な中で父は亡くなってしまいました

目の前で亡くなる瞬間を目の当たりにして悔やむことばかりです

 

これから寒さと共にその記憶が蘇り

辛い季節がやってきました

 

でももう終わったこと

 

そう自分に言い聞かせてこの時期を乗り切りたいと思います

学校のありかた

近年不登校が増えていて、高校生ともなると

学校側も簡単に退学を認めてくれるようだ。

無理に登校してその後の心身に影響するなら

その方がいいと思う。

娘は学校の教室という決められた場所で過ごすことが合わなかったようで小学高学年の頃からスクールカウンセリングなどを受けた。

今でいえば過敏性腸症候群

当時はそのような病名を耳にすることもなく

心療内科漢方薬や薬をもらうだけだった。

中学生の時も学校のカウンセリングを受けたり席を後ろの出口近くに配慮してもらったり保健室登校でなんとかのりきった。

本人は高校へは行きたくないと言っていたけど

辞めてもいいからとりあえず行ってみたら?

高校だけは卒業した方がいいよ

とアドバイスをしてしまった。

休み休み通い卒業はできたけど、成人になっても体調の不調は続いてしまった。

最近、知り合いのお子さんが(高校生)退学したと聞き娘の時も無理して行かなくてもよかったのに可哀想なことをしてしまったと悔やむ

学校制度は昔から変わらず…

大学の様に決まった教室を設けないで

最低限の知識と生き方、考え方を学び

あとは好きな科目を自由に勉強できる環境が必要だと思う。

そうすれば今より学校に行きたいと思える子供も多くなるのでは?

小学生といえども、周りに気をつかう年齢になってる。

不登校の子供を減らすには、学校の環境改革が必要だと思う。

ダイヤモンドアートにハマりそう

ダイヤモンドアート2作目の挑戦です

全体的な絵柄は

三日月の中に曼荼羅アート

一目見た瞬間に作ってみたいと思いました

水色とピンクの組み合わせがとても可愛らしいです

少しだけビーズを貼りました

飽きないように時間を決めて

一日10分〜15分

もう少しやりたいと思うところでやめるようにしていました

読書とドラマ以外の趣味がなくて

音楽関係は音程が分からなくなり、落ち込むだけなので…

お裁縫や絵も苦手

ダイヤモンドアートは、何も考えずに

ひたすら数字通りにビーズを置くだけですが

リラックス効果があるそうです

 

今まで生きてきて

世の中にこのようなものがあるとは知りませんでした

出会うタイミングって不思議ですね

初めてのダイヤモンドアート

大切な人に手作りのプレゼントをしようと思いキットを探していました。

そんな時にこれをやりたい!と思うものを見つけました。

ダイヤモンドアートは、番号と同じビーズを専用のペンで貼り付けていくもので細かい作業ですが、私にもできそうです。

毎日10分位少しずつやっていました。

これを機に自分の趣味になればいいな〜

何もかも忘れてそれだけに集中する

そんな時間も必要だと感じています

最初の挑戦は回転木馬

カラフルな色合いがいい感じ

 

これが仕上がったら、違う絵柄にも挑戦したいです。